新年を迎えました。

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明けまして、おめでとうございます。
今年はブログも充実させたいな、と思ったりしています。
 
よろしくね。
# by meo_7 | 2014-01-01 19:40 | 徒然に… | Comments(7)

ニコンDf

ニコンDf、価格.comの口コミで、賛否両論の大騒ぎ。
ニコン党の僕としては、スペックなんかどうでもいいんだな。
所有欲を満たすかどうかが論点なのだ。
 
カニ爪のレンズが使えて、絞りリングをまわして数値を決定する。
シャッタースピードもダイヤルでまわす。
動作も含めて、完全マニュアルでショットできる。
なんて浪漫なのだ…、この時代に…。
 
時代遅れ、万歳だな。
 
買えないけど…。
# by meo_7 | 2013-11-06 14:55 | カメラ | Comments(2)

シレトコスミレ〜硫黄山

僕は、以前、尾瀬に住んだことがある。それは、仕事でだったけど。その所為で、尾瀬が好きになり、山歩きもするようになった。そんな縁で知り合った尾瀬好き仲間が、来道してきた。尾瀬好きとは、つまり、花好きでもある。彼らの目的は、最果てに咲く、シレトコスミレとのご対面だった…。
 
7月6日、女満別空港に降り立った4人。僕の車とレンタカー1台での移動だ。途中のウトロの道の駅で、早速、北海道の食三昧を楽しむ。僕にしてみれば、北海道の食は、料理とは呼べず、素材の質で勝負しているに過ぎないと思ったりしている。しかし、その素材が肝心なんだよ、と言いながら、美味しそうに食べてくれる道外の人を見ていると、何だか、嬉しくなったりするのも、本当だ。
 
予定では、知床峠の羅臼湖の散策だったが、展望も期待できないので、近場のオロンコ岩を散策し、知床五湖の展望台巡りなどして、ホテル地の涯まで送り届ける…。
 
明けて、7日、午前6時、ゲートを抜ける…、
 
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さて、メンバーは、てばまるさん、meaちゃん、kazuさん夫妻、ママと僕の6人の筈だった…。しかし、歩き始めると、先着していた3人が同行してくる。登山口では、「宜しくお願いします」と、言われた。濃いガスと、クマさんの恐怖で、行くかどうか躊躇していたところに、僕たちが来たらしい…。選りに選って、道外のグループと、僕とママのデコボココンビを選ぶなんて…。
 
成り行きとはいえ、パーティーはパーティーだ。ママに先導してもらい、僕はしんがりを務める。力量も分からないから、道すがら、対策を考えなければいけない。この時点で、僕自身は、一番体力のないものに付き合うと決めたので、最悪、登頂を諦めていた。
 
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登山道は、ジグの道から始まり、その後、緩斜面の樹林帯を歩く。相変わらず、ガスは濃く、不気味な様相の道は、知床ならではの趣もあるからだろう。9人の面々の存在感や、熊鈴のかしましさが、クマさんを遠ざけるのかどうかは分からないけど、恐怖心は、無かった…。
 
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ゆっくりとしたペースは、ママが作っている。何とか、全員を登頂させたいのだろう。間に7人を挟んで歩くのは、初めての経験だ。勿論、ママがある程度の責任を負ってトップを歩くのも、初めてだった。一度歩いたことがあると云っても、8月中旬に、縦走の下山に歩いただけのルートだから、様相は、まるで違う。
 
展望台に着いたが、やはり、展望は開けない。だからといって、ガッカリすることはなかったのは、第一の目的が、シレトコスミレとのご対面だったからだ。展望台から上は、木々も少なくなり、岩が露出し、淡々と登る単調さから解放される分、危険度も増してくる。慣れない人は、緊張で疲れてきたりする。徐々に遅れてくる人も出てくる。こんな場合、見知らぬ人も混じった急造のパーティーでは、無理をして頑張ったりする人がいたりするものだ。これを見逃してはいけないのだと、僕の経験が、語りかけてくる。
 
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這松帯に入る頃、僕は、パーティーをふたつに分けた。「頑張る隊」と「頑張らない隊」だ。この分け方は、便宜上のものなのだ。結局、どちらも頑張ることになるのだし…。先行メンバーは5人。後続メンバーは4人。僕とママは、行きがかり上、分かれた。「頑張らない隊」の先導は、一番自信がないと自己申告した人に任せる。不思議なもので、プレッシャーから解放された「頑張らない隊」は、結構、良いペースで歩き始めるのだった。
 
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這松帯は、延々と続く。日高のそれに比べると、一級国道かも知れないが、単調な道は、気が滅入るものだ。それが終わると、一旦、道は、沢筋に向かって下り始める。いよいよ、沢と出合うわけだ。この時季の沢は、雪渓が残り、それが崩壊する危険が伴う。ママたちは、出合で待っていた。後続の僕たちは休憩を長目に摂って、ママたちには先発してもらったが、ママが、程なく戻ってくる。後に聞いたが、沢の状況が良くないので、サポートが僕だけだと心配だからだったと、語った…。それは、正解だったかも知れない。ママも、成長した…。
 
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沢筋を埋める雪渓は、所々、不気味な穴を開け、険悪な岩と激しい水流を覗かせている。気温が上がらず、雪渓の雪は固くはないが、キックステップが容易な柔らかさでもない。僕以外は、軽登山靴なので、用意してきたアイゼンを装着してもらう。同行したメンバーの内、二人は用意していなかったので、急斜面では、僕が、キックステップを切って、ルートを作ったりしたが、若い二人は、身体能力も高いようで、安心して見ていられた。
 
雪渓登りでは、全員が揃った。互いに、安全を確認しながら登りたかったのだろう。9人は、ここで、一丸となったのだった。名前も知らない人たちが、「絆」を築き始めていたのを、それぞれは、まだ、意識していなかった…。
 
僕は、偵察も兼ねて、ひとり、雪渓を登る。危険な箇所を知らせながら、全員、無事に登り切ったとき、新たな試煉が待っている。大きく崩壊した雪の塊が砂を覆い、沢を埋め尽くしている。その状況が、いつものことなのか、滅多にないことなのか判断は出来ない。
 
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幾つかの崩壊地を登り、通常の沢筋の様子になった頃、斜度は緩み、いよいよ、標高1400m地点の稜線に近付く。その時、先導しているてばまるさんが、シレトコスミレの株を見付けた。しかし、それは、花が散る寸前の、残骸のようなものだった…。しかし、メアカンフスマ、メアカンキンバイなどは満開だった。でもねー、目的は、シレトコスミレなんだよね。
 
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ガスの中、稜線を視界に捉える頃、第一シレトコスミレを発見。残骸が点々と散らばる中、よくぞ、咲き残ってくれていた。そんな健気なシレトコスミレは、清楚で、美しい花弁を、折りからの霧を纏い、瑞々しく咲いていた…。苦闘の末、最果てを感じた荒々しい斜面に、孤高に咲くシレトコスミレは、「訪れて良かった」と言えるだけの姿だった。
 
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全員、稜線に到達する。ここから30分で硫黄山の頂上だ。ランチタイムを摂り、下山開始時間まで、それぞれの目的を果たす。登頂組と、シレトコスミレ探索組だ。探索組は登頂をパスして、縦走路を目指す。ザックはデポし、それぞれ、雨具と飲料水だけを持って行動することにする。デポ番は、僕が引き受け、近くを散策することにした。結局、登頂組は、女性4人だけとなり、ママがリーダーになった。ママは、以前、ガスの硫黄山に登り、下山時に迷子になった経験がある。僕は、ママにGPSを渡し、万が一の時はトラックを見ながら戻ることを伝える。ママは責任を感じたのか、非常用の食料や用具をザックに詰め、背負っていった。
 
それぞれが、霧の中に消え、そして再び現れるまで、シレトコスミレ探しだ…。こんなひとときが、楽しい…。
 
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下山開始の時刻を15分超過したのは、誰の所為でも無く、僕の判断だった。ママは心配したが、最後の1枚まで、心置きなくシャッターを切らせてあげたかった。
 
そして、怒濤の下山が始まる。
 
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気温が低かったお陰で、雪渓の融雪も進んでいなく、快適に下った。沢の増水も僅かで、心を過ぎっていた心配も、杞憂に終わった。みんなの足取りは、思いの外軽く、ペース配分が絶妙だったことを窺わせる。
 
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雪渓の下部に至り、沢を下る頃、青空が覗き、日射しを浴びる。這松帯を抜け出た頃、とうとう硫黄山の雄姿も、みんなを見送ってくれていた。誰からともなく、歓声が上がる。
 
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旅も、終わりに近付く。でも、名残惜しいと云うよりも、早く終わりたいという気持ちの方が強いのは、やはり、この旅が、意外にも過酷だったからかも知れない。
 
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ママの、幾つかの、小さなミスもあった。しかし、いずれも大事には至らず、微笑ましい風景の一部として、みんなの記憶に残り、想い出になってくれたら良いと思う。何故なら、今回のママは、とっても逞しい一面を見せてくれていた。思い掛けなく、勝手に重い責任も背負って、頑張ったのだった。
 
樹林帯に入り、最後のジグの道に入ると、木々の間から登山口の標識が見え隠れする…。誰もが待ち望んでいた瞬間が訪れる。誰彼ともなく、自然に、手に手を取って、互いの健闘を確かめている。9人全員のチームワークの結晶が、「絆」となって、実った瞬間でもあった。
 
 
そして、僕は、3人の名前を、まだ知らない…。
後に聞くところに依ると、単独の若い男性、二人の姉妹だったということだ。
そう、僕が見ていたのは、みんなの安全だけだったのだ…。
 
良い旅だった…。
 
 
# by meo_7 | 2012-07-10 04:48 | 登山(山岳徘徊倶楽部) | Comments(6)

THIS IS IT

予約注文していた「THIS IS IT」が、届いた。

僕が、マイケルのファンだったかというと、「そうでもなかった」と、答えるだろう。
勿論、有名なムーンウオークに代表される様な、「ビリー・ジーン」などは、好きな曲だったし、実は、マイケルは、バラードの得意な歌手であることも知っていた。

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そんな僕が、初めてマイケルを身近に感じたのは、「WE ARE THE WORLD」の企画だった。
完成されたビデオは、メイキングを含み、彼の人柄の一面をも映し出されていた。
唯のダンシングボーイとは違うのだなあ、との印象が残った。
まあ、それ程までに、彼のダンスは、素晴らしいのだけれど…。

しかし、僕は、それ以上に深入りしなかった。
2009年9月のある日、NHKで放映された、ステージのライブ映像を見るまでは…。
それは2001年9月、マジソンスクエアーガーデンにて催された、30周年記念のコンサートだ。
それが、実は、生前の最後のコンサートになってしまった。
突然の死を迎えた彼の不幸は、こうして、追悼放送という形で、僕の目の前に、彼のステージの姿を顕わにするのだった。

圧巻だった。
特に、「ビリー・ジーン」が、素晴らしい…。
ミディアムテンポの曲は、僕の好みもあるのだろうけど、彼を有名にしたと言われる、そのダンスが、素晴らしい。
ムーンウオーク、マリオネットなど、彼の真髄が網羅されている…。

さて、僕は、こうなると、凝り性だ。
早速、公式にリリースされたライブ映像を探し回る。
海賊版は多いけど、公式なものは、意外に少ない。
こうして、「ライブ・イン・ブカレスト」を手に入れる。
1992年のライブ映像だから、マイケルが、最も活躍していた時期のものだ。
これは、当時の観客たちの熱狂振りも、克明に映し出されていて、その時代を共有したような気がした。
この頃、既に、マイケルは、「環境問題」に、関心を持ち、それを歌にしている。
「Heal The World」、「Man In The Mirror」の絶唱では、会場に涙が溢れているような気さえする。

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そして、「THIS IS IT」を、見終わった。
彼が死んでしまったからこその、リハーサル風景の映像が、届けられたのだろう…。

悲しい事と引き換えに、彼の命と引き換えに、マイケルのメッセージは、永遠のものになったと思ったのは、僕だけでは、無いだろう…。

Heal The World…。

世界に、癒しを…。
# by meo_7 | 2010-01-27 16:26 | 僕と音楽 | Comments(0)

GOOD EVENING NEW YORK CITY

ポール・マッカートニー…。
言わずと知れた、いや、僕の世代に限りだけど、ビートルズの一員だ。
ビートルズは、既に、二人しかいない。
ジョンは凶弾に倒れ、ジョージは病に倒れた。

2009年7月、ポールは、ニューヨークにいた。
そこは、1965年、シェア・スタジアムで開催された、史上初めてのスタジアム・コンサートが行われた場所だ。
とは言っても、曾てのシェア・スタジアムは無く、近くに建造されたシティ・フィールドという場所だ。
そこで、行われたライブ映像が、「GOOD EVENING NEW YORK CITY」と名付けられたDVDに収められた。
今、見終わった…。

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2007年に発表された、「追憶の彼方に」というアルバムがある。
ポールは、そのアルバムで、ビートルズサウンズを彷彿させる音と歌声を録音した。
その時に予感していたものが、今、分かった…。

ジョンを失い、ジョージを失い、そして、最愛のリンダをも失ったポールは、いったい、何処へゆくのか…。
この日、シティ・フィールドのステージに立つポールが手にしていたものは、何と、シェア・スタジアムで、ビートルズの一員として参加していた時と同じ、へフナーのベースギターだった。
そう、使い古した、あの日と同じベースギターなのだ。

オープニング・ナンバーは、「ドライブ・マイ・マイ・カー」…、ビートルズナンバーだ。
60歳を過ぎたポールだけど、その衰えは、微塵も感じさせない。
「ブラックバード」でマーチンのギターに持ち替えて、続く曲は、ジョンを歌った、「ヒア・トゥデイ」だ。
ポールも、何かを思い起こす様に、しんみりと歌う…。

ビートルズナンバーを織り交ぜて、何曲か過ぎると、今度は、ウクレレを手にして登場だ。
ジョージの最後のアルバムで、実は、ジョージがウクレレの名手であることも分かっていたので、ジョージの曲でも歌うのかと思った。
そう、ジョージの名曲、「サムシング」が、歌われた。
もう、 僕の目頭は、涙で溢れそうになっている…。

そして、ジョンの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が歌われ、何と、「平和を我らに」と続き、大合唱になる…。
これは、ビートルズナンバーではない。
ジョンと別れた後に、ジョンがソロで歌った楽曲なのだ。

ポールは、一切の過去を、本当に、過去にしてしまった。
ポールが帰ってきた場所は、1965年の、若き青春の時代なのかも知れない…。
ステージに、ジョンやジョージ、リンゴーの、懐かしい顔が映し出される…。
この日、ポールは、ビートルズの一員として、ステージで歌いまくり、郷愁を感じていたのだろうか…。

最後の曲が歌われる…。
「アビーロード」の最後を飾る、ビートルズとしての最後の曲…、「ジ・エンド」。

And in the end
The love you take
is equal to the you make

♪〜そして最後に
  君が受け取る愛は
  君がつくる愛に等しいのさ〜♪
  


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やっぱり僕は、ビートルズ世代だ。


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# by meo_7 | 2010-01-26 21:26 | 僕と音楽 | Comments(3)

With Or Without You

12月の8日と云えば…、
1980年のこの日、ジョン・レノンが凶弾に倒れた日。
そう記憶するのは、ビートルズ世代の証だろう…。
もう少し遡ると、太平洋戦争開戦の日…。
日本は、平和だと云うが、それは、戦争に塗れていないだけで、日々平穏かと問われると、そうでもない事に気付く…。
若者に、生きる希望も与えられなかった大人たち…。
いつになったら、若者たちは、ゲバ棒を振り上げて闘いを挑んでくるのだろう…。

先日、U2のBONOが、テレビ画面の中に現れた。安倍総理との面会シーンだったけど、本当の修羅場を生きているBONOの圧倒的な存在感の前では、我が総理大臣も小さなものだ。

僕がU2を初めて聴いたのは、耳からだけでは無く、映像も一緒だった。
「魂の叫び」と名付けられたビデオだ。
名前だけは知っていたU2…。音楽を通じて、どんなメッセージを送っているのかも知っていた。
衝撃の映像だった。曲の合間に挿入されるインタビューの一コマで、彼らの素顔が垣間見られる。過激なイメージは覆され、物静かに語る言葉に、その重さを感じ取られるのだった。
今でも、お気に入りのアルバム、「THE JOSHUA TREE」は、その時に手に入れた。

With Or Without You

君がいても、いなくても…

強い意志を感じさせるこの詩の意味を、僕は、未だに、本当の理解が出来ていない…。

♪〜石が君の目に
  トゲが君のわき腹に
  ぼくは君を待つ

  よじれた運命
  針の床で ぼくを待たせている
  ぼくは待つ 君がいなくても

  君がいても いなくても


  嵐の中をたどり着く
  ぼくは もっと求めている
  ぼくは君を待っている

  君がいても いなくても


  生きられない
  君がいても いなくても

  君は姿を現した
  君の正体を

  ぼくの手は縛られ
  ぼくの身体はアザだらけ
  もう得るものも
  失うものもない

  きみがいても いなくても
  生きて行けない


  夏の夜に
  ぼくらの星を売る

  冬の明かりに
  ぼくらの星を売る
 
  ひとつの心
  ひとつの希望
  ひとつの愛

  君がいても いなくても
  生きて行けない
  君がいても いなくても〜♪


僕は、まだ、BONOの心に、辿り着けないで、いる…。
# by meo_7 | 2006-12-08 02:24 | 僕と音楽 | Comments(2)

駒ヶ岳冠雪

22日夕方から函館に行き、23日夜に帰札…。
山にも登らないドライブは、何故か、疲れる。
普通なら逆だと思うでしょうが、僕は、山行の様子を思い浮かべながらハンドルを握っていると、身体の疲れなど忘れてしまう様だ。
ドライブの疲れは、メンタルな部分が多い。
単調な道、過ぎる思いも無かったら、それは睡魔との闘いにもなる。
よく、隣で眠られたらイヤだ、という人の話も聞くけど、僕には当てはまらない。
どのみち、運転はひとりだ。隣の人が起きていようが眠っていようが、関係無い訳だ。
いや、本当は、眠っていて欲しいと思ったりする。
その方が、集中できると思うんだけど…。

さて、駒ヶ岳、見事に冠雪していた。
天気は良くはない。
実は、22日、23日に掛けて、道内の天気予報は最悪だったのだ。
使わなかった高速道路も、凍結して、50キロ制限だと、カーラジオが語る…。
峠越えも憚る悪天に、ギリギリまで躊躇するも、峠の雪の積もり具合も見てみたい。
そんな訳で、中山峠越えを敢行する。
が、しかし、案の定の猛吹雪が待っていた。
ちょっぴり後悔した事は白状する。
だって、道の駅の玄関先に駐めて、僅か、数メートルの入り口に行くだけで、真っ白になってしまうほどの猛吹雪…。
こうなった時の居直りは早い。
名物の揚げ芋を頬張り、凍結の峠を下る。
隣のママは、ハンドルも握っていないのに、前方に目を凝らす。
それが、滑稽だ。
当然、眠れる状態では無い。僕も睡魔に襲われる事は無い。
こんな状況で睡魔が襲ってきたとしたら、それは、何か、他の病気に決まっている。
だから、僕は、こんな時、自分の健康を確信する…。本当か?

止せばいいのに、帰路も中山峠を通過する。
やっぱり、凍っていたけど、睡魔に襲われる事は無かった。
そして、山スキーが出来るほどの雪も…無かった…。
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# by meo_7 | 2006-11-24 18:20 | ちょっとした旅 | Comments(2)

断絶

1972年の或る夕方、僕は、まどろむ…。
部屋の中では、FM放送が流れている…。
聴いている訳では無い、聞こえてくるだけの旋律…。
在り来たりの光景だったのだと、思う。次の曲のイントロが始まるまでは…。

突然の、ドラマチックなピアノとドラムスの音、妙に澄んだ歌声が語りかけてくる…。
歌詞の意味など掴めないまま、楽曲は間奏に入る。
圧巻の演奏だ。啜り泣く様なエレクトリックギターの音色が迫り来る…。
最高潮の盛り上がりを見せた後、再び、ピアノとドラムスの印象的な伴奏と、歌声…。
そして、

♪〜行かなくちゃ
    君に会いに行かなくちゃ
    傘がない…

そう叫びながら、フェードアウトしてゆく洪水の様なサウンド…。

ラジオの番組は、次の曲を紹介し、何事かしゃべっている…。
まるで、この曲の一節の様に…。
しかし、僕は、僕を覚醒させたこの曲が、僕の何かを突き動かしている事に抵抗出来ないでいる。

僕は、自転車に飛び乗り、行きつけのレコード店の在る街まで突っ走る。
でも、ふと気付く訳だ…。
「何という曲? 誰が歌ってるんだ?」
そう、聞き流していた解説など、記憶の片隅にも残っていない…。
店の主人とふたりで、とにかく、「傘がない」という詩の一節だけを頼りに、片っ端からレコードの歌詞カードを拡げ、探すだけだった。
果たして発売されているのかさえ分からない。
店の主人が知らないのだから、ヒットしている曲でもないのだろうし、シングルで発売されてもいないのだろう。
行きつけの店でもなかったら、こんな真似は出来ない。

どれほど探した事だろう。
店の主人が、
「これじゃない?」
と、手にしてきた歌詞に、確かに、「傘がない…」と書かれている。
アルバムの最後にクレジットされている。
真新しいレコード盤に、そっと針を置く…。
紛れも無く、ついさっき耳にした曲が、店内一杯に流れた。

夕闇迫る帰り道、僕の腕の中には、「断絶」と名付けられたLPレコードが抱えられていた。
無理して買ったダイヤトーンのスピーカーから、一曲目の「あこがれ」のイントロが流れる。
最後の「傘がない」まで、一気に聴いた…。
衝撃の瞬間だ。
フォークソングに明け暮れていた僕が、初めて触れた、後に、ニューミュージックと分類されたサウンドとの出会いだった。

後に分かる事だったけど、「衝撃」には理由が在った。
井上陽水、というシンガーは、やはり、ビートルズに影響を受け、音楽の原点はそこに在るという事だった。
彼もまた、都会で暮らし、安保闘争の時代を過ごし、ボブ・ディランを象徴する反体制運動の真っ只中、麻雀に興じて、酒を呑み、束の間の恋を探す…。
そんな世の中も自分自身さえも混沌の時代、ギターを片手に曲を作り、自分の人生を占う…。
そんな青春だったのだろうか…。

「傘がない」
この曲は、The Beatlesの"A day in the life"の歌詞の一節、"I read the news today, oh boy"からインスパイアされているという。
確かに、「断絶」と名付けられたアルバムそのものが、何処か、“Sgt.Peppers Lonely Hearts Club Band”で位置付けられた、トータルアルバムという形式の様な気がする。

その後、井上陽水は、「夢の中へ」でヒットを飛ばし、アルバム「氷の世界」で、不動の地位を確立するが、僕にとっての最高傑作は、この「断絶」である事を疑わない。
鳴かず飛ばずの「アンドレ・カンドレ」の時代を経て、「井上陽水」で再起を期した一作目。
その不思議な程に奇妙なタイトル、「断絶」…。
彼は、そのタイトルに、「アンドレ・カンドレ」との決別を表していたのかも知れないと、思った…。

今も、そのレコードは、部屋の壁に飾られている…。
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# by meo_7 | 2006-11-10 04:08 | 僕と音楽 | Comments(2)

Cyndi Lauper

シンディ・ローパー。
古すぎるかねえ。
80年代に一世を風靡したポップシンガーだけど、僕にとっては古くないのだ。
レコードも勿論持っているけど、CD化された総てを揃えている。
しかし、彼女のパフォーマンスは、ビジュアル抜きで愉しむのは、その魅力を半減させると思うのだ。
再び、しかしだ、彼女のライブパフォーマンスが見られるビデオ映像で、正式にリリースされているのは、「ライブ・イン・パリ」しか無い。
セカンド・アルバムの「トゥルー・カラーズ」が発表されてからのツアーの模様が映し出されているそのパフォーマンスは、シンディー・ローパーの絶頂期の凄さを見て取れる。
ステージ一杯に踊る、あの独特のダンシングも魅力だけど、しっとりと歌い上げるハイトーンボイスの、ある種、凄まじさに、僕は、鳥肌がたったものだ。
そして、アンコール最後の、アカペラで届けられた、「トゥルー・カラーズ」は、流れる涙を抑えきれないでいたっけ…。

♪〜True colors are beautiful,
  like a rainbow.

さて、先頃、数年前のライブDVDを手に入れた。
「At Last」と、名付けられたステージに現れたのは、波乱の人生を積み重ねた、すっかりと大人になったシンディーだった。
勿論、破竹の勢いを誇った頃のパフォーマンスは表せない…。
それでも、あのファニー・フェイスの片鱗を見せて、愛くるしい笑顔を見せた時、ニューヨークの観客は、安堵の歓声を送る…。

「トゥルー・カラーズ」という曲を発表した時、シンディーは、エンターティナーとして生きる事を止め、自らの道を選び、アーティストの道を選んだのではないのかと、僕は思う。
ヒット曲を創り、虚構の自分を演出しなければならない程の、アメリカンドリームの真っ只中で、きっと、シンディーは、自分を失い掛けていたのだろう。

確かに、スターダムからは遠ざかっていった…。
それが、何だって言うのだ。
そう思わせる程に、「At Last」のシンディーは、輝いていた…。
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# by meo_7 | 2006-11-08 20:50 | 僕と音楽 | Comments(0)

子供たちの逆襲

“いじめ”…。漢字で書くと“虐め”とか“苛め”と表す。
ね、漢字で書くと、陰惨さが伝わりますね。
では、どうして“いじめ”と表すのか…。
何だか、意図的に、柔らかく、残忍さが伝わりにくくしているかの様に思うのは僕だけ?

大人が責任転嫁していて右往左往…。
これじゃあ、今、渦中にいる子供たちは絶望してしまうよね。
だいたい、苛めた側に、何のお咎めも無い事がおかしい訳だ。
悪い行いの結果は、「罰せられる」と教える事が教育でしょうが。
「心の痛み」を教える事が教育でしょうが。
何故、「謝罪」させないのだ。

死んで抗議をする…。
子供たちの逆襲は、切ないほどに強烈だ。
いったい、僕たち大人たちは、どんな社会を構築したのだろうか?

苛める側に属するか、苛められる側に属するか…。
今、子供の社会は、この二つの選択に成り立っていると云っても過言では無い。
積極的に参加しなくとも、無関心を装っている事は、結果的に「無視」に参加している訳だ。
結局、ひとりぽっちの「闘い」になる。
標的にされた者は、適わない。
標的にされたくないから、苛める側に属する。
明日は、我が身になるかも知れないと云うのに…だ。

さて、苛められている諸君。
もし、諸君が、苛められる妥当な理由が無いと言い切れるのなら、「逆襲」しよう。
それは、「死んでしまう」事では無く、「闘う」事だ。
どうせ、言い出しっぺは、少人数に決まっている。
或る夜、そいつ等がひとりになった時、背後から、思いっ切り襲ってやるがいい。
正々堂々とやる必要など、これぽっちも無い。
端から、向こうが卑怯なのだ。それも教えてやるがいい。
どうせ、こっちは、命が懸かっているんだ。
「死んでしまう」しか方法が見付からなくなったら、せめて、最後に、「闘う」事を試してみてくれないか。
相手が腕っぷしが強かったら、棒切れでも持つがいい。
いいか、死ぬまでやってはならないぞ。
それは、やり過ぎだ。

きっと、君は、補導されるだろう。
それからが本番だ。
この時点で、君の安全は保証される訳だ。
何たって、世間が注視している状況になる訳だ。
そして、堂々と言ってやれ。
「生きるためにやった」と…。
「学校に行きたいからやった」と…。
「大人たちも、見て見ぬ振りをしたからやった」と…。
君が「生きている」から、決して真実は曲げられない。
君が「生きている」から、もみ潰される事は無い。

君は、「凶暴」だとのレッテルを貼られるかも知れない。
でもな、「死んでしまう」ほどの苦しみからは解放される。

さて、これからが肝心だ。
君が勝利をしたとしてもだ。
決して、苛める側に属してはならないという事だ。
そんな事をしてみろ、今度は、君が背後から襲われるかも知れない訳だ。
何?「仕返し」が怖いって?
もう、君は、地域の有名人だ。そうなっている筈だ。
そんな有名人を襲ってみろ、直ぐに捕まるぞ。
それに、どうせ「死のう」と思っていた人生だ。

苛めらっれっ子の逆襲だ。
よく考える事だ。正義はどちら側に在るのかを…。
苛める側を窮地に陥れてやれ。
君が闘う事で、どれほど多くの人が救われるか。
どれほど多くの大人たちが「恥を知る」事になるか。

死んでしまったら、ただの抗議で終わってしまう。
実際、もみ潰そうとしているじゃないか…。
闘ってこそ、世の中は目を覚ます。



これって、危険な思想なの?
絵空事ではない事は確かだよ。
僕も、転校生だった一年間近く、所謂、「無視」「苛め」に遭ったからね。
ボスと闘って、今、こうして、生きている…。
# by meo_7 | 2006-11-07 15:58 | 徒然に… | Comments(2)


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